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最新10件

マダガスカル、モロッコでZ世代の抗議運動

2025/10/08/Wed

 9月下旬から、マダガスカルやモロッコで若者によるデモが激しさを増している。マダガスカルでは、頻繁な断水や停電への不満を発火点として、9月25日から主要都市で連日デモが続いている。ラジョエリナ大統領は抗議活動が始まるとすぐにエネルギー担当相を更迭し、29日には前閣僚の交代を発表した。しかし、運動の勢いは衰えず、10月に入ると若者たちはラジョエリナ大統領の辞任を要求するようになり、野党や労働組合もこれに同調した。大統領は、デモ隊が「国家転覆を企んでいる」と非難するとともに、6日、陸軍のザフィサンボ(Zafisambo)将軍を首相に任命した。軍を利用してデモ隊を鎮圧しようとの意図があるようだ(7日付ルモンド)。  一方、モロッコでは、9月中旬に南部アガジールの公立病院で帝王切開を受けた妊婦が死亡した事件がきっかけとなって、医療制度の不備に対する不満が広がった。オンラインコミュニケーションサービスのディスコード(Discord)を使った呼びかけを通じて、27日から若者が中心となったデモが各地で行われた。その主体は"GenZ 212"と名乗り、医療制度や教育制度の質の悪さに抗議し、首相の辞任を要求している。  マダガスカルもモロッコも、Z世代の若者がデモの中心になっている。アフリカでは、昨年ケニアのルト政権が、Z世代の若者を中心とした抗議行動に屈して、増税案を撤回した。最近では、バングラデシュやネパールでも若者のデモが政治体制を揺るがせている。  これら各国の運動は、相互に影響を受けている。マダガスカルの運動はネパールの動きに刺激された側面があるし(5日付ルモンド)、デモ参加者の動員の手段としてディスコードが使われた点にも共通点がある(4日付ルモンド)。不満の背景に違いがあっても、若者たちを街頭での抗議活動に駆り立てるメカニズムに共通性が見られることは興味深い。(武内進一) アフリカからの留学生支援のため、現代アフリカ教育研究支援基金へのご協力を呼びかけています。 

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南アフリカの婚姻後の姓と近代の矛盾

2025/10/04/Sat

 南アフリカの憲法裁判所(最高裁判所に相当)が9月10日に下した、夫が希望すれば妻の姓を名乗ることができる権利を認める判決は、論争を巻き起こしている。  この判決は、妻の姓を名乗る法的権利を否定された2組の夫婦が、内務省を相手取って起こした訴訟から生じた。両夫婦は、下級裁判所で法律の違憲性を争い、勝訴したが、憲法裁にもその判断の確認を求めていた。2組の夫婦は、妻の姓を名乗ることを禁じる法律1992年出生死亡登録法第26条(1)が、男女平等を侵害し、家父長的なジェンダー規範を固定化すると主張した。  BBCが伝えるところによると、憲法裁は、「多くのアフリカ文化において、女性は結婚後も出生時の姓を保持し、子どもが母親の姓を名乗ることも多かった」と指摘し、「ヨーロッパの植民者やキリスト教宣教師の到来、そして西洋的価値観の押し付け」によりこの慣習が変化したとした。そしてこの「妻が夫の姓を名乗る慣習は、ローマ?オランダ法に存在しており、この形で南アフリカの慣習法に導入された」と指摘している。  9月19日付けのThe Conversationに法学者のアンソニー?ディアラ氏(西ケープタウン大学)の見解が掲載されたため紹介しよう。南アフリカでは制定法と慣習法が並存しているが、慣習の有効性を制定法が規定するため、両者の関係は不平等である。裁判官が西洋的な観点から慣習を解釈するため、両者の間に緊張が生じ、慣習法を遵守する人々を苛立たせるケースも少なくない。憲法裁の判決は、男女平等の促進を目指す正当な目的があるものの、慣習と憲法上の権利との闘いに新たな一章を開いているという。  南アフリカでは、ローマ?オランダ法、英国のコモン?ロー、慣習法、宗教上の属人法といった、異なる法体系が共存している。アパルトヘイト(人種隔離)政策撤廃後の1996年に採択された憲法は、これらの法体系に同等の地位を与えることで、法の多元性を認めている。そのため、今回の判決は、理論上は慣習法に従って生活するアフリカ人には適用されるべきではないが、現実はそれほど単純ではない。  事実、南アフリカ伝統的指導者らは、今回の判決は伝統的な社会に西洋的な考え方を押し付けていると批判している。姓が血統、アイデンティティ、そして指導者の継承の基盤であるという彼らの主張は、婚姻姓が植民地時代に輸入されたものであることを度外視しており、彼らが西洋的な教育、テクノロジー、そして現金収入などの植民地主義(そしてグローバリゼーション)による変化を受け入れてきたことを考えると、婚姻後の姓はアフリカの慣習法へと変化したのか、植民地時代の変化は慣習法とみなされるべきか、といった問いが出てくるだろう。ディアラ氏の見解は、多元的法体制における慣習法のとらえ難さと、近代と伝統という単純な二分法では現実を把握できないことを示している。  周知のとおり(日本を含め)個人が姓を名乗ることが近代的な現象であることを考えると、今回の判決は、単に表面化するジェンダー平等の議論だけでなく、南アフリカやアフリカを越えて、姓という近代の賜物を手にした社会が抱える矛盾を映し出しているといえるだろう。(宮本佳和) アフリカからの留学生支援のため、現代アフリカ教育研究支援基金へのご協力を呼びかけています。 

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AGOAの失効と今後

2025/10/02/Thu

 25年にわたって適用されてきた米国の「アフリカ成長機会法」(AGOA)が、9月30日で失効した。クリントン政権期から続いてきたAGOAは、アフリカに大きな影響を与えてきた。  米国議会の統計によれば、AGOAの枠組みでのアフリカからの輸出額は2024年に80億ドルに達した。受益国としてはまず南アフリカが挙げられ、この枠組みを利用して自動車、金属、化学製品などを米国に輸出している。ケニア、マダガスカル、レソトといった国々も、AGOAを利用して繊維製品を輸出してきた。  アフリカ側は、AGOAの継続をトランプ政権に訴えている。南アフリカのタウ(Parks Tau)商業相は、米国政府に対して継続に向けたロビイングを続けると述べ、ケニアのルト大統領も「援助より貿易」のロジックで継続を訴える意向である。  この先AGOAをどうするか、米国政府からまだ何の公式発表もない。現在、米国政府は与野党対立の余波でシャットダウンの危機に陥っており、そうした発表がある可能性は当面低い。ただ、10月1日付ルモンド紙に掲載されたインタビューのなかで、米国のブロス(Boulos)特使は、AGOAの1年間の延長に前向きの姿勢を示した。  関税措置によって、トランプ政権はAGOAを事実上無効化した。しかし、その後個別の交渉が続いており、実際どのように関税が適用されているのかいないのか、判然としないのが実状である。当面は不透明な状況が続きそうだ。(武内進一)   アフリカからの留学生支援のため、現代アフリカ教育研究支援基金へのご協力を呼びかけています。 

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カメルーンとエリトリアがパレスチナ国家を承認しない理由

2025/09/24/Wed

 2025年9月22日、国連総会が開催されているニューヨークでは、イスラエルとパレスチナの「二国家共存」による和平推進のための国際会議が開催され、前日のイギリス、カナダ、オーストラリア、ポルトガルに加えてフランス、ルクセンブルク、マルタ、アンドラがパレスチナ国家の承認を宣言した。これで国連加盟国の8割以上、常任理事国では米国以外の全ての国がパレスチナ国家を承認したことになる。パレスチナはイスラエルによって国際法に反して占領されている状態で、他国による国家承認は象徴的だとはいえ外交上大きな意味を有する。  アフリカ連合加盟国55か国(西サハラを含む)を見ると、カメルーンとエリトリアを除く53か国がすでにパレスチナ国家を承認している(9月22日付RFI)。承認済の国々の多くは、30年以上前のかなり早いタイミングで承認を行った。1988年にパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長がパレスチナ国家の独立を宣言したのはアルジェで、アルジェリアはパレスチナの国家承認を行った世界最初の国となった。その後数週間で、植民地支配から解放され独立してからさほど時間が経っていなかった多くのアフリカ諸国が承認を行った。アフリカ諸国の多くは自らの植民地経験をパレスチナの運命と重ねた。アパルトヘイト下の南アフリカでは、民主化後の1995年にパレスチナの承認が行われたが、それはマンデラ大統領による最初の政策の一つだった。  9月21日付のLa Presse(カナダ)や9月22日付のBBCは、そうしたアフリカ諸国の動向の中で、なぜカメルーンとエリトリアがパレスチナ国家未承認なのかを取り上げている。  カメルーンのポール?ビヤ政権は、治安維持面でイスラエルからの手厚い支援を受けてきた。大統領警護特殊部隊や大統領直属の迅速介入部隊(BIR)は、北部国境地域でのボコ?ハラムとの闘いや英語圏地域(北西州?南西州)での分離独立派との戦闘に貢献してきた。アフリカの独裁的政権は外国の支援によって治安維持を図ることがよくあるが、この部隊の創設者はイスラエル人であり、イスラエルはこれらの部隊の軍事訓練や装備?監視技術の提供を担っている。イスラエルとの緊密な関係は米国からの現ビヤ政権への支持の基盤にもなっている。したがって、カメルーンは国連でのパレスチナの権利擁護に関わる決議には棄権をするのが通例で、パレスチナの国家承認もしていない。  エチオピアとの分離独立紛争を経て1991年に独立したエリトリアには、より複雑な歴史的経緯が背景にある。パレスチナの独立宣言当時、アフリカ統一機構(OAU)本部のあったエチオピア政府はパレスチナを支持したが、その時エリトリアは占領者であるエチオピアと武力闘争をしていた。パレスチナはエチオピアとの関係からエリトリアと相容れない立場になった。イスラエルは、紅海に面したエリトリアと1993年から同盟を結び、同国内に対イラン艦船の監視施設を持つ。さらにエリトリアは、自国が自決権を求めて闘ってきた経緯から、そもそも1993年のオスロ合意が欺瞞的であるとして否定的である。紛争の原因であるイスラエルによる軍事占領体制と入植推進が放置されたままで、名ばかりの自治区を作ってもパレスチナ人にとっての本来の意味での自決権の獲得につながらず無意味であるばかりか、占領状態を固定化することになるとして、「二国家共存」による解決も支持していない。  カメルーンもエリトリアもイスラエルと同盟関係を有する点は同じだが、カメルーンでは、大統領選挙を目前にした現政権にとってのイスラエルの安全保障上の戦略的価値が、エリトリアでは自決を求めてきた闘いの歴史が、パレスチナ国家承認に関わる政治判断の大きな背景になっている。しかし、両国ともに国民感情は親パレスチナであり、また国内に多数のイスラム教徒が暮らしている。すぐにパレスチナを国家承認することはないだろうが、より長期的にはパレスチナ解放を支持する方向に向かわざるをえないのではないだろうか。(大石高典) アフリカからの留学生支援のため、現代アフリカ教育研究支援基金へのご協力を呼びかけています。 

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マリでイスラム急進主義勢力の攻撃広がる

2025/09/20/Sat

 19日付ルモンド紙の報道によれば、マリ西部でアルカイーダ系のイスラム急進主義勢力GSIMが、この数週間、外国企業、特に中国企業を狙った攻撃を繰り返している。6月に外国企業の生産設備を狙うと予告した後、7つの外国企業の工場が襲撃され、うち6つが中国企業であった。GSIMは外国企業に対して安全保障と引き換えにみかじめ料の支払いを求め、マリ政府の信用失墜を狙っている。  最近GSIMは、西部のカイ(Kayes)、中部のセグー(Segou)、南部のブグニ(Bougouni)などで、中国企業の砂糖工場や英国企業が開発するリチウム鉱山が襲撃された。  中国企業が多く攻撃されているのは、中国に対する恨みからではなく、マリ経済にダメージを与えるための合理的戦略だという。カイ周辺は金採掘が盛んで、セネガルとマリを繋ぐ経済回廊をなしている。GSIMにとって戦略的価値が高い地域である。  GSIMの攻撃で、これまでに少なくとも11人の中国人が誘拐された。中国政府は人数を公表していないが、軍事政権と密接に連携して誘拐された自国民救出に努力している。  マリにとって、中国は最大の経済パートナーである。2009~2024年のマリに対する中国の民間投資額は16億ドルで、中国政府は2000年以来137のプロジェクトで18億ドルを投資した。軍事政権登場後、中国はいっそうの関係強化に動いている。  軍事政権の登場とともに、マリはフランスに背を向けた。それとともに、中国、トルコ、ロシアといった国々がマリに接近した。ロシアは軍事協力が中心で、マリが不安定化すればその影響力が拡大する可能性がある。中国はマリの不安定化を望んでおらず、商業的利益のために安定を望んでいる。マリをめぐる中国とロシアの利害は、必ずしも一致していない。以上、19日付ルモンド紙の分析である。  マリでは、7月10日に軍事政権トップのアシミ?ゴイタを2030年まで政権トップとする法律が制定され(7月11日付ルモンド)、8月にはマラ(Moussa Mara)、マイガ(Choguel Kokalla Maiga)という二人の元首相が、それぞれ1日、19日に逮捕された。10日には、政権転覆を画策したとして、「少なくとも20人」の軍人が逮捕された(8月11日付ルモンド)。軍事政権は従来に増して強権化しているが、その足もとは相当に脆いようだ。(武内進一) アフリカからの留学生支援のため、現代アフリカ教育研究支援基金へのご協力を呼びかけています。 

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カメルーンにおけるカカオ栽培の拡大と「森林減少フリー製品規則」(EUDR)

2025/09/16/Tue

 カカオの価格が上昇し、世界的にチョコレートの値段が上がっている。世界のカカオの70%以上を供給している西アフリカ、とりわけコートジボワールとガーナでの悪天候と病気による収量減少が、主な要因だと考えられている。多国籍カカオ企業は、生産が不調な西アフリカからカメルーンなど中部アフリカへと事業をシフトさせている。カメルーンにおける生産量は、31万トン(2023~2024年実績)で世界第5位だが、政府は毎年64万トンの生産を目標にしている。  価格上昇の農民経済への影響は、生産国によって異なる。カメルーンではカカオ取引の制度が自由主義的なので、国際価格と連動して国内価格の高騰が著しい。最近2年間で、1Kgあたりの取引価格は1500FCFAから5000FCFAにまで上昇した。9月から大雨季を迎えるカメルーンでは、2025年から2026年のカカオの収穫シーズンが始まっている。価格は昨シーズンに比べると少し安くなっているとはいえ高止まりしており、カカオ開発公社(SODECAO)は、カカオ買取価格が大幅に下がる材料はなく、当面高いままだろうと予想している。  この「茶色の金(l'or brun)」で儲けようと、多くの若者がカカオ栽培に参入している(RFI、9月2日付)。国際価格が上昇すると、カカオ畑の開墾熱が高まる現象はこれまでもたびたび観察されてきた。今年はカカオの苗が不足状況となり、種苗生産が追い付いていない。そのため種苗業者では、他の作物の種苗生産のためのリソースを割いてカカオの種苗が生産されるに至っているところさえある。  中南米の熱帯林地域を原産とするカカオは、直射日光を好まず庇陰樹を必要とする。そのために、在来植生を皆伐することなく育てられる。そのため、生物多様性を過度に毀損せずに地域住民に現金収入をもたらす森林農業が可能であるという意味で、これまで熱帯林保全と地域経済の両立の文脈で一定の評価をされてきた。しかし、カカオ栽培の急激な拡大が、熱帯林の減少や劣化をもたらしているという指摘もある(Mighty-Eartth、7月28日公開報告書)。  野放図なカカオ栽培拡大に歯止めをかけるかもしれないと期待されているのが、EUが2025年12月30日から発効予定の「森林減少フリー製品規則」(EUDR)である。この規制は、該当製品の生産にあたって土地の権利、環境保全、労働?人権尊重、先住民からの同意の取得を含む7つの主要原則の遵守を要求する。この規則には、ウシ、コーヒー、アブラヤシ、ゴム、大豆、木材とともに、カカオが含まれている。カカオをEU域内に輸出するには、そのカカオが2020年以降の森林減少に寄与する形で生産されていないことを確認するためのトレーサビリティの証明が必要になる。  カメルーン産カカオの輸出先の7割はEUだ。期限までに基準をクリアするため、カカオ畑の位置を地理的に特定し、生産者を登録する作業が急ピッチで進められ、政府によればすでに全カカオ生産農家の「99%」と目される24,800人の生産者の登録が完了した(RFI、7月21日付)。既に、カメルーン?コーヒーおよびカカオ業界団体(CICC)は、アクセス無料で利用できるオンラインプラットフォームを整備して、輸出業者がカカオの生産地情報の詳細について確認できる態勢を整えた。トレーサビリティの質を担保するにはまだ課題が多い。データを扱う省庁間の連携を困難にする縦割り行政の問題、土地の権利を持たないカカオ農家にどのように持続的な栽培への投資をおこなえるのかという問題、カカオ畑と市場流通の間を複雑に取り持っている中間業者のビジネスの捕捉の難しさなどである。今後、カカオ栽培の持続性向上をめぐって、「森林減少フリー製品規則」がどのように機能するかが注目される。(大石高典) アフリカからの留学生支援のため、現代アフリカ教育研究支援基金へのご協力を呼びかけています。

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大エチオピア?ルネッサンスダム(GERD)の完成

2025/09/14/Sun

 9月9日、アビィ首相は、大エチオピア?ルネッサンスダム(GERD)の完成を正式に表明した。ナイル川全水量の85%を供給する青ナイルをせき止め、着工から14年を経て完成した。アフリカ最大級の発電力を持つこのダムは、ほぼエチオピア国民の税金で建設された。当初、世界銀行が融資を拒否し、エチオピアは隣国ジブチの支援を受けてダム建設を進めた(8月28日付ルモンド)。  ダムの完成はエチオピアにとって国家的偉業だが、ナイル川の下流に位置するエジプトは、自国の水資源が脅かされるとして反発している。エジプトは、1959年に結ばれた協定を根拠として、エチオピアのダム建設を一方的だと非難するが、エチオピアは同協定は既に時代遅れだと反駁している。エチオピアは、2024年10月、ナイル川下流に位置するブルンジ、ルワンダ、ケニア、南スーダン、ウガンダとともに、ナイル川水域協力枠組協定(Nile River Basin Cooperation Framewrok Agreement)を発効させた。  エジプトとエチオピアの緊張には、両国間の、さらにはナイル川流域における北アフリカとサブサハラアフリカ諸国とのパワーバランスの変化が反映されている。1959年当時、エジプトの国力は圧倒的で、上流域の国々(多くはなお植民地体制下にあった)のことを考えずにナイル川の水を利用できた。GERDの竣工は、そうした時代がもはや過去のものとなったことを示している。(武内進一) アフリカからの留学生支援のため、現代アフリカ教育研究支援基金へのご協力を呼びかけています。 

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ルワンダ軍墓地面積の急拡大

2025/09/13/Sat

 国際人権NGOのヒューマン?ライツ?ウオッチ(HRW)は、9月4日、SNSで衛星画像を公開し、ルワンダ国軍(RDF)兵士が埋葬された墓地の面積が急速に広がっていることを示した(10日付ルモンド)。  ルワンダはコンゴ民主共和国東部に国軍を派兵していると言われ、国連の報告書でもその点が指摘されてきた。2025年1~2月にゴマ、ブカヴをM23が制圧した際には、RDF兵士6000人が参加したとされる。しかし、ルワンダ政府は一貫してこれを否定している。  HRWは、ルワンダの首都キガリの空港近くにあるRDFの墓地を2017年1月から2025年7月までの間に14回撮影した衛星画像の分析から、今年に入って新規の墓地が急増していることを示した。  2022年1月27日から2025年7月3日の間に1,171の新規の墓地が建てられたが、その40%は2024年12月15日以降に建てられたものだという。2017年~2021年半ばの間、新規の墓地は週あたり1.7基のペースで建造されたが、2022年初頭にM23が再興すると週あたりの建造数は6基に増えた。2024年12月15日から2025年4月9日の間、週あたり22基と顕著に増加した。  今年初めのM23による制圧地域拡大に際しては激しい戦闘となり、両陣営に大きな被害が出たと言われている。HRWが公開した画像は、ルワンダ国軍の関与とそれに伴う戦死者の増加を示す一つの証拠と言えそうだ。(武内進一) アフリカからの留学生支援のため、現代アフリカ教育研究支援基金へのご協力を呼びかけています。 

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ヘレロの故最高首長の生涯とナミビアの8月

2025/08/31/Sun

 ナミビアの106年にわたる長く残酷な植民地支配の歴史において、8月は重要な月である。特に、8月11日と26日は、コミュニティから国家までさまざまなレベルで植民地支配の歴史をふりかえり、亡くなった人びとを追悼する日になっている。  25日付の地元紙ニューエラが、ナミビア独立の立役者であるヘレロの故最高首長ホセア?クタコ氏(1870-1970年)の生涯をふりかえりながら、これらの日について特集を組んだため、補足を加えながら紹介しよう。  ナミビアは、1884年からドイツ、1920年から南アフリカによる植民地支配を受けた。特に、1904年から1908年にかけてドイツ軍が先住民のヘレロとナマの人びとを組織的に絶滅させようとした出来事は、ホロコーストに先立つ20世紀最初のジェノサイドとして知られる。生き残った人びとは、その後、南アフリカのアパルトヘイト政策を受け、1990年にようやく独立を迎えた。  1904年8月11日は、それまでヘレロとの交渉を続けていたドイツ軍が戦略を変え、積極的な包囲攻撃を開始した日である。この戦いは、ウォーターバーグの戦いとして知られ、約3千から5千人のヘレロが殺害されたとされる。生き残った人びとは近隣の砂漠へ逃れるしかなく、飲料水のある水場で毒殺された。捕らえられた人びとは、ナミビア国内に設立された強制収容所に収容され、強制労働、レイプ、医学実験などにさらされた。当時のヘレロの人口の約8割(約6万5千人)が亡くなったとされる。クタコ氏は、こうしたドイツ軍の猛攻の中で戦い、強制収容所での収監を経験し、生き延びた一人だった。ヘレロは、ジェノサイドがおこなわれた場所を数年に一度の頻度で訪れ、戦いで亡くなった祖先を追悼する。ウォーターバーグ付近もその一つである。  もう一つの重要な日は8月26日である。この日は、国家レベルでは、南アフリカからの独立を目指して最初の戦いが始まった日として、国民の祝日になっている。コミュニティレベルでは、ドイツのジェノサイドから逃れ、ボツワナに亡命したヘレロの初代最高首長サミュエル?マハレロ氏が、ナミビアの故郷で再埋葬された日でもある。ヘレロの人びとは、この日(の前後)に再埋葬地で毎年墓参りをおこなう。  クタコ氏は、マハレロ氏が亡命する際に護衛し、再埋葬の指揮および墓参りの開始について宣言したことで知られる。こうしたヘレロ内部の統一に加え、彼はナミビア独立に向けて人びとがアパルトヘイト政策によってカテゴライズされた部族の枠組みをこえて団結して戦うことをうながしたことでも知られる。クタコ氏は、故初代大統領サム?ヌヨマ氏をはじめとする多くの将来の指導者らを指導し、1950年代と1960年代に南アの不当な統治について国連に請願書を提出し、国際的な注目を集め、独立へと導いた。こうした功績から、ニューヨークの国連本部には民族自決と人権への貢献を称えるクタコ氏の胸像が設置され、ナミビア国内では国際空港や首都の大通りが彼の名前にちなんで名づけられている。  毎年8月はさまざまなレベルで、それぞれの英雄や祖先への追悼を通して、植民地支配の歴史が語られる。誰を記憶し、追悼するかは、その社会におけるポリティクスが垣間見える。(宮本佳和)  アフリカからの留学生支援のため、現代アフリカ教育研究支援基金へのご協力を呼びかけています。 

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ナミビア先住民から愛されたドイツ系移民死去

2025/08/28/Thu

 ナミビアの僻地カオコランドに40年以上暮らし、キャンプ場運営や学校の設立などの支援を通して地域の人びとと交流を続けたドイツ系移民のマリウス?シュタイナー氏が、22日、首都で亡くなった。63歳だった。  シュタイナー氏は、カオコランドに暮らす人びとのあいだで「ヘモングル(古いシャツ(を着た男性))」という名前で知られる。同氏は、44年にわたり奥地の山岳地帯で暮らし、同地域で話されるヘレロ語を習得し、彼らの習慣を受け入れ、地域の人びとと親交を深めてきた。  地元紙エロンゴによると、シュタイナー氏は1980年代初頭、ナミビアとアンゴラの国境紛争の最中、地質学者である父親とともにカオコランドに移住した。当初は同地域に豊富な宝石のもとになる鉱物を採掘して売っていたが、観光客が突然、眠る場所を求めて来たことをきっかけに、接客業に転向した。提供していた部屋が徐々に増え、キャンプ場を設立した。  シュタイナー氏は、観光客をキャンプ場で温かく迎えるだけでなく、同地域に暮らす先住民のヒンバやヘレロの人びとと親密な関係を築いていたことでも知られる。同氏はビジネスを通して地域の人びとを雇用し、現金収入の機会を提供していただけでなく、学校や教会、そして診療所の設立を支援し、地域の発展にも尽力した。  妹のジャネット氏は、同紙のインタビューに対し、ヒンバへの敬意がシュタイナー氏の人生のあらゆる側面を形作っていたと語っている。また、長年の友人であるシュルツ氏は、シュタイナー氏を「物静かな伝説の人物」と評し、「ヒンバと広大なカオコランドのために心を躍らせる」人物だったと語っている。  葬儀は30日にシュタイナー氏のキャンプ場でとりおこなわれ、先住民のヒンバやヘレロも参列する予定である。(宮本佳和)  アフリカからの留学生支援のため、現代アフリカ教育研究支援基金へのご協力を呼びかけています。 

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