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「都賀庭鐘《四鳴蝉》試論――二つの言語の狭間で」 及川 茜
"Preliminary thoughts on Tsuga Teisho and his Shimei Zen :
An Attempt to Travel Outward from Japanese Language" OIKAWA Akane
和文要旨
都賀庭鐘は享保3年(1718)から寛政6年(1794)頃に大阪に生きた儒医であり、数々の著作を生んだ文人である。わけても読本作家としての活躍で名高いが、特に寛永二年(1749)に公刊された最初の短篇小説集『古今奇談英草紙』は、前期読本の嚆矢とうたわれている。そこには中国短篇白話小説の翻案が数多く収められており、白話への造詣の深さをうかがわせる。また、『康煕字典』の和刻(1778年)に際し校正を行うなど、漢学者としても著名であった。
明和8年(1771)に公刊された『四鳴蝉』は謡曲や浄瑠璃を漢訳したものであるが、その文体は単なる書記言語としての漢文ではなく、当時の中国で用いられていた口語に基づく白話文である。収録作品は中国戯曲の形式に則る形で訳されており、特に第一篇では曲牌の利用も見られる点で、当時の中国俗文学研究の水準を示す佳作といえよう。
この作品の成立には、当時の俗語中国語であった白話を現地の音によって学ぶ唐話?唐音の流行と、漢文を外国語として認識し直すという荻生徂徠らによる新たな学習の機運とが大きく影響している。従って、庭鐘の『四鳴蝉』の文体からも、日本語と中国語との懸隔を意識した上で、その枠を越えてゆこうとする意識が看取される。
本稿は『四鳴蝉』に見られる庭鐘の言語意識の考察を通し、日本語の一文体としての漢文の枠を超えた作品としての『四鳴蝉』の位置づけを探るものである。
詳しくは英語本文(PDF)、日本語本文(PDF)をご覧ください。
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