2011年3月 月次レポート(平田周 フランス)
短期派遣EUROPA月次レポート(3 月)
平田 周
今月は先月に引き続き、ルフェーヴルとアルチュセールの関係について論文を書くことを念頭に置きながら研究しました。二人の関係をこれまで規定してきた、人間主義対理論的反人間主義という対立を再び取り上げるにあたって、一方の立場に与してもう一方の立場を批判することが問題なのではありません。そうした批判は、これまでのルフェーヴル研究とアルチュセール研究の双方に見られてきました。しかし、だからといって、中立的な立場に身をおいて、二人の思想の関係を論じることが無条件に可能なようにも思われません。「人間」、「人間主義」、「人間学」、「人間本性」といった語がそれぞれのテクストにおいてどのように用いられ、批判されているかを比較?検討した結果においてのみ、二人の思想の関係は新たに考えられるのだと思います。
アルチュセールの理論的反人間主義の要点の一つは、具体的な人間と類的な人間を暗黙のうちに同一視する経験的-観念論的二重体としての人間主体は、哲学史において、常に所与として前提されてきたが、そのような主体は構成されたものでしかない、というものです。こうした人間主体の代わりにマルクスは「社会的諸関係」の概念を据えたのだと主張し、アルチュセールはこうした社会的諸関係がいかに生産?再生産されるのかのメカニズムを、自らのイデオロギー論を深化させることによって、明らかにしようとします。他方で、ルフェーヴルの人間主義は、アルチュセールが批判の対象としているような歴史の主体としての人間主義ではありません。それは彼の都市?空間論と密接に結びついているように思われます。とりわけ、ルフェーヴルが当時の都市計画における人間と空間の機能主義的結びつきを批判するとき、それは都市計画における人間像を浮かび上がらせるものとなります。こうした異なるコンテクストでの「人間」という言葉は、共通した何かを示しているのでしょうか。こうした問いを考える際に、ランシエールが1974年に出版した『アルチュセールの教え』は、一本の補助線となります。「人間主義」はブルジョワ的で非科学的な〈概念〉であるとアルチュセールが規定するとき、彼が見落とすのは、人間という〈語〉の政治的次元であると、ランシエールは主張し、1830年代および1970年代の時代を隔てた労働者の政治闘争を例にして論証していきます。以上のような議論を手掛かりとしながら、一本の論文を書くことができるように今後努力したいと思います。
報告者のフランスでの派遣期間は本来であれば3月に終了予定でしたが、4月1日に尊敬する先輩研究者がパリ第十大学(ナンテ―ル)で、博士論文の口頭試問を受けるという話を伺い、3日ほど滞在期間を延長させて頂きました。論文のタイトルは、「芸術の合法性:決疑論を鏡として映しだされる演劇の問題」というものです。決議論(casuistique)とは、ローマ法学以来の法学の領域を占めるもので、体系性を持たない個々のケース;事案(cas)を通じた法規範に関する議論を指し示します。専門を同じくするわけではないので、口頭試問のやりとりを必ずしもすべて理解したわけではありませんが、16、17世紀の決疑論における民衆と演劇の関係を巡る言説は、芸術?美学と法学という一見異質に思われる領域のつながりを考えさせるものであります。また、論文で切り取られたこの時期区分は、モダニズムの芸術の成り立ちを再考する際にも特異な視点を与えるものとして、審査員から高く評価されていました。
報告者としては、論文の内容ももちろんですが、口頭試問における審査員が投げかける質問?批判に対して、いかに論文提出者が自分の立場を弁護するのか、その様子に関心を持ちました。これまで博士論文の口頭試問に何度か出席し、その度に、いつか自分がその場に論文提出者として立たなければいけないという気持ちで居合わせてきました。今回は、ほとんど同じ日本の大学制度のなかで教育形成を経た先輩が口頭試問を受けるということで、自分がどれだけのやり取りを試問において行うことができるかを今までよりも身近に問われているように感じられました。結果として、報告者が同じように口頭試問を受ける技量にとうてい達していないという点では心もとないのですが、他方で目標とすべきものを具体的に実感したという点では、とても貴重な機会でした。
報告者はこの3月で短期派遣EUROPAプログラムを終えます。昨年の7月から9カ月に渡るこのプログラムの支援なしには、小さなものでありますがこれまで積み上げてきた研究の成果はなかったと思います。今回の口頭試問への参加のための派遣期間の延長を含め、報告者の様々な要望に応えてくださった短期派遣EUROPAの関係者各位にこの場でお礼を申し上げたいと思います。