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2012年5月 月次レポート(最上直紀 オーストリア)

短期派遣EUROPA月次報告書(2012年五月)

最上直紀 

 報告者は東京外国語大学が提供する短期派遣EUROPAの制度によりまして、ドイツ語のブラッシュアップおよびギュンター?アンダースの技術論の研究のため、オーストリア共和国ウィーン大学に派遣されました。

 五月は暑いくらいに感じられる日と、セーターが必要なほど肌寒く感じられる日がこもごもにやってまいりまして、これが当地での季節の変わり目かと、感じられました。なお、世間でいうところの五月病気味であったことも告白いたしておきます。
 生活といたしましては、やはりテキストを読むということが第一にきますので、特別にご報告できることは残念ながらあまりないのですが、25日から27日までが聖霊降臨祭であったこと(ドイツ語コースの先生にうかがいました)、26日にはダライ?ラマがヘルデンプラッツで演説をいたしましたこと(中国系の鞄屋のおかみさんに教えていただきました)、それから6月の2日には、わたくしの住んでいるジンマーリンク地区のお祭りがありましたことは、お伝えしたいと思います。
 ジンマーリンク地区はウィーンの中心街からはやや外れているのですが、そのためにかつて増谷英樹先生からオーストリア史の授業で教えていただいた、移民と労働者の街という、観光地としてのウィーンとはことなった側面を目に見えて学び取ることができます。特に当地のお祭りでは、目抜き通りを延々と、中東系のひとびとの服屋と西洋人の時計屋や古道具屋が並び、ひとめで人口構成と生活形態がシンボリックなしかたではありますが、見てとることができました。またこのお祭りでは、出店だけではなく、当地区にございます発電所や下水処理場、さらには各政党もテントをひらいておりまして、「無料貸し出し自転車をジンマーリンクにも」といった身近な政治的イシューを知ることができたほか、初めて近代的な工場ができたのはいつかなど、ジンマーリンクの歴史を紹介するコーナーもありました。
 先月はルームシェアという生活形態についてご報告させていただきましたが、今月はわたくしが留学生として生活している地区について、ご報告をさせていただきたいと思いました。

 先月は、わたくしがこれまで主題としてきましたハイデガーと比較して、アンダースをどのように位置づけられるかという作業を行ったつもりでございますが、今月はまず、ギュンター?アンダースの主著とされる『時代遅れの人間』(Die Antiquiertheit des Menschen)第二巻を消化したうえで、それから現代の思想的動向において彼の研究をどのように位置づけることができるのかを模索することになりました。
 相互にまったく別というわけではないのですが、さしあたって技術論の文脈とメディア論の文脈を押さえておきたいと考えまして、Dieter Mersch氏のMedientheorien zur Einfuhrung(『メディア理論入門』2006年)を読了のうえ、恥ずかしながらこの本を通じて初めて知りました哲学者を扱ったRainer Guldin, Anke Finger, Gustavo Bernardo三氏による共著Vilem Flusser(2009年)、またLorenz Engell氏のFernsehtheorie zur Einfuhrung(『テレビ論入門』2012年)から、アンダースを扱った節とその周辺を読みました。また、Erich Horl氏編集の論文集Die technologische Bedingung(『技術論的条件』2011年)をざっとながめました。
 いずれの本もたいへんに興味深く思われました。特にHorl氏による『技術論的条件』総序とMersch氏の『メディア理論入門』を読み合わせますと、ジャン?リュック?ナンシーやジャック?デリダ、ジャン?ボードリヤールやポール?ヴィリリオ、ベルナール?シュティグラーといった仏語圏の研究に対するドイツ語圏の哲学による最新の応答のいくつかがこれなのではないかと感じます。
 報告者はこれまでハイデガーの言語にかかわる著作をあつかってまいりましたので、アンダースの著作につきましても、マスメディアすなわちコミュニケーションの現代的な変容を扱っているものが特に興味深く思われました。ただし彼の主要なメディア論は、1950年代に公刊されておりますので、近年の研究を確認する必要があり、『メディア理論入門』を読みました。彼のマスメディアに対する現象学的な分析に対する評価とアクチュアリティーは、ただわたしの印象にとどまらず、Mersch、Engell、Driesの三氏、またLiessmann先生の先行研究によっても揺らがずにいることが確認できました。
 Mersch氏の著作のなかでメディアは、媒介の問題として取り扱われておりまして、プラトンのコーラにはじまり、マクルーハンを中心とするカナダ学派にいたる、哲学史の読み直しのような作業がなされています。本書では、アンダースのメディア論はラジオやテレビといった狭い意味での「メディア」にとどまっていると指摘されていますが、報告者といたしましては、Mersch氏が設定する広義のメディア論の視点から、「メディア論」と銘打っているわけではないアンダースの諸考察を読み解いていくことは十分可能であり、今日の哲学的思考状況のなかに彼の研究を位置づけることもできるのではないかと感じております。
 今月の研究は、アンダース自身を取り扱うことからはやや離れてしまいましたが、有益な作業ができたと思います。なお、アンダースの著作および先行研究も少しずつではありますが、集め始めまして、Christian Dries氏の総論的な先行研究Gunther Andersを読み始めました。小ぶりの本ですが内容豊富で、参考となりそうです。

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