2011年12月 月次レポート(フィオレッティ?アンドレア イタリア)
月例レポート
(2011年12月、博士後期課程 フィオレッティ?アンドレア)(派遣先:ローマ大学、イタリア)
先月のレポートでも言及した通り、12月はヨーロッパ文学における句読法の分析に取り組んだ。この問題に関しては、2008年に出版されたトリノ大学のイタリア語文法の教授であるBice Mortara Garavelli先生が編纂した『ヨーロッパの句読法の歴史』"Storia della punteggiatura in Europa")という資料を参考にした。
同書では、様々な学者の研究を通して、ヨーロッパ各国の古典から現代の文学における句読の使用が分析されている。研究の主な対象はピリオド、コンマ、コロン、感嘆符、疑問符などの句読になるが、 句読のいわゆる"メタ言語的な使用"、すなわち 括弧、ダッシュ、引用符など記号についても様々な指摘があり、時代が経つにつれてどのように展開するのかも詳しく扱われている。
同書は、私の研究にとって重要な資料だと思われた。というのも、以前の分析で私が立てた仮説、フランスやイギリスなどのヨーロッパの各国では引用符の工夫が18世紀の半ばから使われ始めたことを確認できたからである。ミラノ大学のフランス語史の教授Maria Colombo先生のフランスにおける句読法に関する論文では興味深い内容を見いだせた。フランス文学の様々な作品からの具体的な例を通して、18世紀の後半より引用符やイタリックは語り手と違う登場人物の直接話法、ダッシュは二人以上の人物のそれぞれの言葉を目立たせるために使用されていることをColombo教授は明らかにしている。このような特徴には18世紀の小説におけるポリフォニーの展開の一つの証拠が見いだされるという。
この論文集は、ヨーロッパで使用された引用符とそのテクストにおける機能を年代順にどう位置づければ良いかという問題を明確にする点ではかけがえのない手引きとなるが、一方で引用符が小説の語りの方法にどのような影響を与えたのかという点に関する指摘が割と少ない。とはいえ、豊富な参考文献が付されているので、そこから新たな発見を得られる余地は十分にあるはずなので、今後それらの文献に目を通していきたい。
今月は翻訳理論の研究も進め、研究上重要な資料を手に入れた。そのタイトルを挙げる。
Siri Nergaard, Teorie contemporanee della traduzione, 1995;
Siri Nergaard, La teoria della traduzione nella storia, 1993;
Susan Bassnett, La traduzione. Teorie e pratica, 1993;
George Mounin, Traductions et Traducteurs, 1965;
Giulio Lepschy, Tradurre e traducibilità, 2009;
Anton Popovi?, La scienza della traduzione (Teória umeleckého prekladu), 1975;
Peeter Torop, La traduzione totale (Total'nyj perevod), 1995.
日本文学に応用する翻訳理論に関しての最近の研究では、Indra Levyのものが特に卓越している。
Indra Levy, Sirens of the western shore, 2006;
Indra Levy, Translation in modern Japan, 2011.
また、日本でも参考にした研究を挙げよう。
秋山勇造『明治翻訳異聞』新読書者、2000年5月;
卓也原『翻訳百年』大修館書店、2000年2月;
丸山真男、加藤周一『翻訳と日本の近代』岩波新書、1998年;
柳父章『翻訳語成立事情』岩波新書、1982年;
鴻巣友季子『明治大正翻訳ワンダーランド』新潮社、2005年:
長島要一『森鷗外 文化の翻訳者』岩波新書、2005年.
私の研究の目的は、西洋文学の翻訳、そして句読法のような出版業の新しい手段の導入を通して、明治時代以降の小説の中で話法がどのように変化してきたかを分析することである。
こうした研究の論理的な側面を支えるため、実践的な翻訳の活動も進めたいと思っている。そのため、現在、樋口一葉の『にごりえ』の翻訳に取り組んでいる。以前も一葉の『たけくらべ』を翻訳し、分析したことがあるが、この新しい翻訳では、私が知っている限り今まで西洋の翻訳者がしていない試みを提案したいと思う。つまり、一葉の原文に出来るだけ近いイタリア語のバージョンを作ること、とりわけ古典的とも言える特徴、すなわちカギ括弧を通して地の文と直接話法などを区別させるという特徴を守りながら翻訳作業を試みたい。このような文体はイタリア語の場合には普通ではないため、様々な工夫が必要となろう。その翻訳作業で出てくる困難な点は、私の研究と深く関連しており、その考察を論文の中で報告したいと思っている。
共同指導教員マストランジェロ先生は以前から翻訳者としての評価が高く、樋口一葉と『にごりえ』についても研究したことがあるので、私の研究に貴重な助言を与えてくれるに違いない。