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2012年4月 月次レポート(新谷崇 イタリア)

月次レポート 2012年4月
新谷崇(博士後期課程)
派遣先:ピサ高等師範学校(イタリア)

 4月は、前回のレポートで述べたように、投稿論文の執筆に時間を費やした。ようやく下書きを終え、イタリア語の校正段階にある。専門の研究者から意見をもらい、投稿先を探すつもりである。イタリア語には相変わらず苦労しているが、研究成果を一日でも早く発表できるよう努力したい。
 さて、4月は、論文執筆の合間を縫って、日帰りでの史料調査もおこなった。博士論文の主要な史料としてItalia e Fedeという週刊誌を扱っている。初刊号 (1928年12月2日) から1942年2月15日号まではフィレンツェ国立図書館で閲覧可能である。しかし、1942年2月以降の号については入手できていなかった。複数の図書検索サイトで調べた結果、アスティという北イタリアの町に1942、43年分があることがわかった。
 アスティは、トリノ近郊に位置し、ピサからは電車で約4時間のところにある。詩人V?アルフィエーリ (1749-1803) が生まれた町としても有名である。今回史料調査に訪ねたのはアスティ県レジスタンス史研究所 (ISRAT) で、小さな図書館を併設していた。初日は、予約せずに出かけたせいで閲覧できず、ピサに引き返す羽目になった。倉庫が郊外にあるため、事前に取寄せ手続きをする必要があった。なので、史料の到着を確認してから、再度アスティに出かけた。
 実際のところ、アスティで所蔵している分量は多くはなかった。1942年分を4号分 (第17号、第26-27号、第29-30号、第44号) と1943年分が3号分 (第15号、第18号、第19号) だけだった。とはいえ、1943年分を入手できたことは研究上大きな前進と言える。幸いなことに、デジタルカメラでの撮影を許可してもらえたので、書き写す手間も省けた。史料の保存状態もよく、デジタルカメラで撮影した画像をプリントアウトして利用できそうである。ISRATのスタッフには、親切にしていただき非常に感謝している。
 今後の課題は、Italia e Fedeの最終号の確定である。というのも、1943年7月25日に首相B?ムッソリーニ (1883-1945) が罷免?逮捕される。その混乱の中で雑誌は休刊ないし廃刊を余儀なくされたと思われる。おそらく1943年6月下旬か7月上旬が最終号であろう。今回のアスティの調査では、1943年5月16日まで確認できた。これからも情報を集め、各地の図書館を回り、1号でも欠落をなくさなければならない。
 来月は、投稿論文の完成を課題とする。また、イタリア政治に関するカンファレンス (5月17日) を聴講する予定である。元首相のG?アマート、元ヴェネツィア市長で哲学者のM?カッチャーリらも参加するので興味深い。

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