私は2018年7月末からメキシコシティーに家族と暮らしている。学部生だった2001年に1年間留学して以来のメキシコだ。これまでも幾度となくこの国を訪れて、変わりゆく人々や町並みを記憶に刻んできた。しかし、社会変革に寄せる人々の期待を今以上に感じたことはない。
今年7月1日に行われたメキシコ大統領選では、国民刷新運動(MORENA)のアンドレス=マヌエル?ロペス=オブラドール(AMLO)元メキシコ市市長が3度目の出馬にして勝利を収め、来る12月1日から6年間の任期に就く。次期政権は、1930年代以来の左派であり、メキシコ政治に根付く汚職や腐敗の一掃、人民のための政治を掲げている。政権移行を待つ今は「TRANSICION(移行期)」と呼ばれ、大統領選と同時に実施された国会議員選挙で選出された議員による国会が9月に始まるなど、新しいメキシコの輪郭が現れつつある重要な時期である。
そんな最中の10月2日は、1968年のトラテロルコ事件から50周年だった。トラテロルコ事件とは、端的に言えば、パリの五月革命に始まった学生運動がメキシコにも波及し、諸権利を訴え三文化広場に集った学生に向けて軍が無差別に銃撃し殺戮、逮捕した事件で、メキシコの人々が本格的に民主化に目覚めることになった出来事だ。現在は国としてこの出来事を悼み、公的機関では毎年10月2日は国旗を半旗にすると法律で定められている。私はこの日、事件現場となったメキシコ市北部の三文化広場へ行った。
何やら報道陣が集まっているので尋ねると、AMLOがやってくるという。間もなく彼が到着するや、バリケードで囲われていた追悼碑周辺が解放され、演説を誰もが近くで聞ける配慮がなされた。大衆の声を聞くと期待されている次期大統領は、50年前に国家テロが起きた場所で、軍隊が人民を弾圧するようなことは2度とさせないと決意表明して黙祷した。AMLOのこの日の予定は直前まで報道陣以外には知らされず、SNSなどでその動向が注目されていただけに、多くの人は彼の行動に納得したことだろう。
同日午後には、三文化広場から大統領府のあるソカロ(中央広場)まで市民による行進が行われるというので見に行った。政府の推計で約4万5千人がこの行進に集まり、その多くが現役の学生だった。「10月2日を忘れない」と叫ぶ学生たちの声が街中の建物にこだまして、肌に突き刺さるようだった。若者が声を上げると凄まじいエネルギーが生まれるのだと、身をもって感じた。
なぜ現役の学生たちがこのような行動に突き動かされているのか。それはアヨツィナパ事件と関連する。これは2014年9月26-27日にかけて、ゲレロ州イグアラ市一帯で起きた農村教員養成学校生43人の強制失踪事件のことで、国内外から批判を浴びながらも、国家は真相解明に及び腰だ。これには大統領指揮下の陸軍と連邦警察が麻薬組織と共謀した疑惑があり、国家が人道に反する罪を犯したという点で、半世紀前の事件と現代がつながっているというわけだ。
本学で歴史を勉強する自分にとって、メキシコの今が問いかけるテーマは深い。新天地での刺激的な毎日を研究につなげるべく、移りゆくメキシコと日々向き合っていきたい。
2018年10月2日のデモ行進(国立芸術院前で筆者撮影)※写真は加工しております
東京外国語大学 大学院総合国際学研究科
世界言語社会専攻
博士後期課程 松枝 愛
【掲載日:2018.10.26】