2017年度 活動日誌
3月 活動日誌
2018年04月10日
GJOコーディネーター 田口 和美
三月のロンドンレポートは9日に行われたTUFS-SOAS交流会に関してです。
交流会の内容としては、客員としてTUFSからSOASにおみえになっている岡野先生と品川先生が特別に現在研究なさっている課題をそれぞれ発表下さいました。その後、ヒューズ先生、バーンズ先生、SOASの民謡グループの2人の学生による歌と楽器の演奏で交流会を祝って下さいました。
コーディネーターの私は、交流会当日、朝の9時から我が家のキッチンでお惣菜の準備に入りました。暖かいものと生ものは避けて持参できる献立を考えました。考えた献立は具入り稲荷ずし、かっぱ巻きとうなきゅう巻き、大根と人参の煮もの、ごぼうのきんぴら、サーモンフィッシュケーキ、豚肉の揚げ物台湾風あえでした。
8時間弱のキッチンで料理との奮闘の後、夕方の5時少し前にすべて準備が終わり、SOASに到着したところで、ウェストミンスター大学に留学中の学生さんから、迷っているとの連絡を受け、何とか携帯で連絡し合い、遭遇する事が出来ました。
交流会会場に到着すると、岡野先生と品川先生は準備万端という様子で、食べ物やドリンクをテーブルに準部するのを手伝ってくださいました。
暫く参加者が集まるのを待ち、5時45分くらいから交流会を始めました。
参加者はTUFSからはSOASに留学中の学生全員の3名とウェストミンスター大学に留学中の2名の中1名の学生(参加できなかった学生さんは参加希望でしたが、次の週、帰国とのことで残念ながら参加不可能という連絡をもらっていました)、SOASの日本語学科の学生で今年の秋にTUFS留学予定の2名の学生の中の1名、コリア―ジャパンの主任をなさっているネイサン?ヒル教授、岡野先生といっしょにビルマ語のコースに参加なさっている日本美術の権威でTUFSにも滞在なさったことのあるタイモン―スクリーチ博士、演奏の後に合流くださった民族音楽専門家のデーヴィッド?ヒューズ教授と考古学者のジーナ?バーンズ博士、日本語学科の学生1名と音楽部の学生1名でした。
交流会は、岡野先生が始めてくださり、ビルマ語の古い言語資料研究に関してその言語の構成やアーカイブの状況についてヴィジュアルを使い、詳しく説明して下さいました。
続いて品川先生がタンザニアで話されているバントゥ語に関して、アフリカの複雑な地域と言語の関係を、初心者でもわかるように地図を使って言語領域の分布を紹介して下さいました。
少しの休憩をはさんで、SOASのデーヴィッド?ヒューズ先生の率いるSOAS民謡グループのSOAS陣メンバー、ジーナ?バーンズ先生と日本語学科の学生と音楽学科の学生が素晴らしい民謡の演奏と唄で交流会をさらに盛り上げてくださいました。
筆者が2曲琉球古典音楽を紹介し、その後、ヒューズ先生とバーンズ先生に素晴らしく息の合った沖縄民謡を披露してもらいました。
最後の閉めに、今後もTUFS-SOAS間の学術、文化交流がますます盛んになってくれることを祈って、祝い節を演奏して幕を閉じました。2018年の交流会が無事終わり、参加者、協力して下さった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
今月の2件目のレポートは、文化庁海外研究制度(短期)で、ロンドンに演劇、演出分野で研修滞在中の鹿目由紀さん(劇団あおきりみかん主宰、劇作家、演出家)がノッティングヒルゲートにあるCORNET劇場(映画ノッティングヒルでも登場)の中にあるClub Roomでお芝居のリーディングを行うという事で、ラッキーにもコーディネーターの佐藤章子さんにご招待いただき、そのリハーサルと本番を見学させてもらいました。
鹿目さんは日本で演劇に関する色んな賞を数多く受賞なさっています。今回のロンドン訪問は、その才能をもっとグローバルに展開していく段階の一つという印象を受けました。
リーディングの前準備として今回のお芝居の翻訳家で、SOASの翻訳学と日本語(Translation Studies and Japanese)というクラスで定期的にワークショップを担当する阿部のぞみ教授の劇翻訳ワークショップにSOASの学生達ともに参加されたそうです。
今回披露された寸劇は、いけない(英題:Forbidden)という題名の作品で、役者さん二人にテーブルと椅子一脚、そしてグラス一杯の水というミニマリストの設定で行われました。
作品を要約すると、人生を真面目に言われる通り規則を守って生きてきた男性が、ある日突然現れた彼の過去をすべて知り尽くしているミステリアスな女性の発言に触発されて、今までずっと飲んではいけないといわれて飲むのを避けていたグラス一杯の水を飲んで倒れるといった内容でした。
役者さんは日系の男優さんとシンガポール人の女優さんでしたが、息の合った熱演でお芝居にひきつけてくれ、短い時間でしたが、非常に濃い体験でした。
2月 活動日誌
2018年03月05日
GJOコーディネーター 田口 和美
二月のロンドンレポートは、11月のレポートで特集しましたデーヴィッド?ヒューズ教授(TUFS-CAAS Unit2015)の旭日勲章の授賞式がロンドン日本大使館で行われましたので、その模様をお届けしたいと思います。
反対側にはバッキンガム宮殿を望むセントジェームズパークの前に位置する日本大使館の一室で行われた授賞式は、大勢のゲストを迎え、非常に盛大なものでした。会場の入り口では、日本国大使、大使夫人、ヒューズ教授、パートナーのバーンズ博士がゲストを迎えてくださいました。大使とヒューズ教授お二人とも紋付き袴の正装です。
授賞式は大使によるヒューズ教授の紹介から始まりました。その後、旭日章のメダルが大使よりヒューズ教授に手渡されました。長年絶え間なくそして誰にも分け隔てなく、日本文化の紹介と地域への浸透に努力なさってきた活動が、この旭日章となって日本国から承認されたという事は、非常に大きな成果だと思います。
会場はヒューズ先生の受賞をお祝いに来た参加者であふれかえっています。SOAS関係者も大勢詰めかけていました。ヒューズ教授が作り上げた、SOAS民謡グループとロンドン三線会のパフォーマンスでにぎやかに盛り上がり、授賞式の宴の幕が閉じました。ここにもヒューズ教授の人柄が出ていて、多くの人がこんなにリラックスしたイベントを大使館で体験したのは初めてだという印象をもったイベントでした。素晴らしいの一言です。
二月のレポートの一つとして、SOAS日本語学科の授業に参加する予定でしたが、ストライキのため残念ながらかないませんでした。このレポートは来年のアカデミックイヤーまで延期です。
もう一件のレポートは、津軽三味線を学んでいる生徒さん達の発表会に関してです。
以前にも紹介しました、津軽三味線奏者の一川響さんですが、お師匠さんとして、生徒さんがUKとベルリンに大勢いらっしゃいます。一年に一回発表会を企画されていて、今年が5年目だそうです。日本人コミュニティーのある北西のフィンチレイウェストという地区の教会で発表会が行われました。
初心者から熟練の生徒まで色々ですが、みなさん上手に日本民謡、時にはオリジナルの曲を演奏し、本当に素晴らしいと思います。着物姿の人もかなりいます。
日本でも、まず津軽三味線を学ぶ生徒さんの演奏を聞く機会は稀ですが、今日は30人近くの生徒さんたちが津軽三味線の音を披露してくれました。最初と最後は全体のグループ演奏でしたが、津軽三味線のパワフルな音色が教会中に鳴り響いていました。
前半の最後では、ゲストパフォーマンスとして、ヨサコイ‐ロンドンと呼ばれるグループが元気溌溂としたヨサコイ踊りを披露してくれました。昨年結成され、今回が2度目のパブリックパフォーマンスだそうですが、熱心に練習をしている様子で、とてもまとまりのあるパフォーマンスでした。現在、メンバー募集中だそうです。
1月 活動日誌
2018年02月05日
GJOコーディネーター 田口 和美
新年の一月レポートは北ロンドンに在住の母親コミュニティー, JAMALNE (Japanese Auspicious Mothers Association London North East、将来Totte Mumに変更の可能性あり) が企画、開催する新年会の様子をお届けしたいと思います。
2010年に発足し、個人の家で開いていたのが、2013年から近所の教会のスペースを借りて行うようになり、この形での新年会も6年目を迎え、40近くの家族が参加する会に発展したそうです。設立の背景に関して主催者側の中心的人物の法貴和子さんに、お話を伺いました。
法貴さんは英国滞在が40年以上という女性で、東京大学で児童心理学を学んだ後、渡英され、以降、パフォーマンスアーティストとして、数多くのお芝居を書き、作り、演じていらっしゃいます。その中でも、「ツースレス」と「ボロワーズ」は人気が高く、数多くの劇場で上演されました。法貴さんは音楽活動もされており、フランクチキンズというポップ、ラップ、そして演歌を歌ってパフォーマンスする、女性を主流とするグループのリーダーでもあります。このグループは1980年代初期に形成され、メンバーがどんどん増え続け、今日まで健在です。
アーティストとして精力的に活動する反面、一児の母でもある法貴さんが発起人として始まったのが、この北ロンドンマザーズコミュニティーです。始まったきっかけを法貴さんに尋ねたところ、最初はお母さん二人と子供二人でご自分の家で始めたそうです。それ以降は、計画性、企画力、行動力を持つ法貴さんが地域のお母さん方に声をかけ、それがどんどん広がり、今に至っています。
日英交流450年を迎えた今、イギリスにはイギリスを自分の居住地としている日本人が大勢います。そして日本人と現地人との間に生まれた子供たち、そしてその子供たちも年々増えています。これがイギリスの日本人コミュニティーの一つの形態でもあります。
最近、日本でも何が日本人なのかというアイデンティティーの問題も問われていますし、両親の一人が日本人という多国籍人種、いわゆるミックスレースや、幼少のころから日本以外の国で育つ日本人が、これからどんどん増える中、現地の日本人コミュニティーも多様化してきています。新しいタイプの日本人のアイデンティティーの位置づけをすることは、これからの日本のグローバルコミュニティーの発展において、重要な課題だと思います。
新年会のイベントは、セブンシスターズという北ロンドンの地下鉄から歩いて15分くらいの場所にある、バプティスト教会を借りて行われます。中に進んではいると、折り紙と工作のワークショップのテーブルが設けてあり、大勢の子供たちが、数人のお母さん先生のデモンストレーションを真剣に見ながら、実際に自分たちで折り紙を折ったり、色鉛筆で絵をかいたりしています。すごい熱気に圧倒されました。
ワークショップの反対側には、お寿司が販売されています。ご近所で一年ほど前に開店した日本人女性が運営するすしヘッドが出店を出しているのですが、廉価でおいしいとロンドンっ子には大人気です。
次の部屋に入ると、子供達が遊べるように、滑り台やおもちゃが置いてあり、にぎやかで楽しい雰囲気です。なんと福引のテーブルも設けてあります。部屋の一角はミニパフォーマンスができるように、マイクとアンプがあり、その前に椅子が並べてあります。
催し物は、筆者が沖縄民謡と古典をやり、それから以前にもご紹介したイギリス人男性、クライブ?ベルさんによる尺八と篠笛、タイの楽器ケーンの演奏、最後は民謡、演歌歌手の望月あかりさんと津軽三味線の一川響さんの歌と演奏でした。
クライブさんの尺八やケーンの演奏、さらにあかりさんの演歌、そして響さんの演奏する津軽じょんがら節や、あかりさんとのデュオで披露される数々の民謡に、子供も大人も、心の故郷に帰ったように、日本の音に聞きほれていました。最後はドンパン節に観客も参加して、盛大に盛り上がって2018年の新年会の幕は閉じました。
はっぴを着て活躍していたお母さま方、ご苦労様でした。日本でもなかなか味わえない貴重で素晴らしい新年会、日本文化体験でした。
12月 活動日誌
2018年1月5日
GJOコーディネーター 田口 和美
12月のロンドンレポートはジャパニーズデパートメントの近代文学の授業風景をお届けしようと思います。
教鞭をとるのは、文学博士でいらっしゃるステファン?ドッド博士です。ドッド博士は以前東京外国語大学で講義をなさったこともあり、ご存知の方もいらっしゃるとおもいます。来年の10月から4か月間東京外国語大学に客員として来日される予定ですので、今回はそのプレヴューといったところでしょうか?
師走を迎え、街並みもクリスマスにむけ、街全体がキラキラと明るくなり、おとぎの国の様な錯覚を受ける時期です。しかし、学生はクリスマス休暇の前に論文提出があります。
ドッド博士の授業も、出席を取った後は、まず論文提出日と文字数の確認でした。論文提出が迫っているにもかかわらず、クラスは20人を超える学生で, 教室はぎっしりと埋まっています。聴講を許可された筆者は邪魔にならないように後ろの隅で授業を見学することにしました。
今日の授業は、横光利一作の「機械」と、岡本かの子作の「金魚繚乱」についてのディスカッションです。最初に横光利一の作品から討論が始まりました。ドッド博士がまず読んだ感想はどうだったか質問します。
学生が一人一人手を挙げて、読後の感想を述べます。「暴力的な小説」、「自己不信と被害妄想」、「作品のいわんとする意図がつかめない」、「受身的で、ボスは世界から遮断されている印象を受ける」、「現実と向き合うのを避けてる」、「未来的」、「謎」、「非論理的」といったコメントが出ていました。
「非論理的」という意見に対しては、ドッド博士が、「彼らの世界の中では意味が通じているのでは」というコメントを加え、討論が進みます。ドッド博士がこれは日本的な物語でしょうか?と質問を投げかけます。
学生の一人が、「誰がコントロールしているのだろう?終わりがなく、ぐるぐるとまわっている印象を受けた。読後感は不満足感が残った。」という意見に対し、ドッド博士は、「小説の読後感が気持ちがかき乱されたり、心地よくなかったりする場合、どういった影響を持つでしょうか?思考力が刺激され、その気にかかる部分に関して考えるのではないでしょうか?なぜなら、それは一言では言い表すのが難しいからです。」とコメントされた。
さらに討論が続いていきます。この小説を日本の1930年代とどういう風に関連付けますか?という質問がドッド博士から出ました。一人の学生が、「自然主義に対する反動だと思います。登場人物は機械で動かされています。全てが化学や科学に関係しています。」という意見。
この小説は近代文学だと思いますか?学生が躊躇したので、ドッド博士は続けます。小説の表現方法は日本版の近代主義です。不道徳、無知が暴力とナンセンスに対する快感で表現されていていますが、スラップスティックにみられるドタバタの暴力性と違い、常に暴力だけが存在しています。作家は彼の生きている時代をこうやって表現しているのです。彼は「ザイトガイスト」、言い換えれば「その時代を先取りした精神」と言えるでしょう。例えば彼の文章の書き方ですが、延々と切れ目なく続きます。作家は意識して普通と違う、一風変わった文章の書き方をしているのです。ある意味で、ダダイストが表現方法として取ったレイアウトの仕方で、通常の文章の書き方を崩し、あちこちに自由に文章を埋めていき、違ったフォントを使用する、といった方法にも似通る所があります。
どうして機械というテーマなのでしょうか?とドッド博士がクラスに問いかけます。 一人の学生が「運命、近代主義への批判」、次の学生は、「資本主義社会では個人主義の必需性があり、すべては個人主義に向けられていると思います。」という意見を発言しました。
ドッド博士からの質問です。個人という意味は何でしょうか?機械という意味は何でしょうか?これは肯定的見方もあれば、否定的見方もあります。例えば、ロシア革命のときに活躍した芸術家の絵を考えてみてください。ロシアの構築主義のイメージは、大きな機械が歯車で回っていて、機械により世界を新しいものに変化させるという、肯定的なイメージで表現されています。反対にチャーリー?チャップリンは代表的映画、モダンタイムで、人間は機械にボロボロにされるという、否定的な表現をしています。
討論が白熱してきたところで、所要時間を半分以上過ぎてしまったので、この討論はここで打ち切り、次の岡本かの子の作品の討論に移ります。討論の課題は「金魚繚乱」です。
ドッド博士がまず、小説の登場人物を確認し、学生に読後の感想を尋ねます。学生の一人が「自己逃避」、次の学生は「自己憐憫」と発言。
ドッド博士から小説の主要点の解説が入ります。主人公の又一は発想と願望をたくさん持っています。彼に必要なのは、ただ行動に移すことなのですが、彼はそうはしません。これはしばしば日本の小説で起こる事です。時代を少しさかのぼって明治の作家、二葉亭四迷の小説、「浮雲」でも主人公は行動することを選びません。それと反対にロシアの小説では主人公が行動することを選択することが多いです。
学生の一人が、全体の物語として、まさこは手が届かない存在としてあり、面白い結末になっていると思います。他の意見は、「登場人物すべてが、環境に身を任せていると思います。」
ドッド博士の解説が入ります。私たちはここで小説が書かれた時代背景を考慮する必要があります。日本の1930年代を振り返ってみましょう。当時の日本では、女性解放を進める団体が存在しましたが、時代を煽動するザイトガイストとはなりませんでした。
1937年に日本は満州国を侵略し、中国進出を開始しました。軍国主義の支配がはじまったのです。
岡本かの子は仏教徒でした。その影響か花を思い出させるような面があります。とても普遍的です。
学生の一人が、「まさこの性格は非常に現代的だと思います。」といって面白くなりかけたところで、残念ながら一時間のディスカッションは終わりました。
非常に充実した討論の時間でした。
11月 活動日誌
2017年11月30日
GJOコーディネーター 田口 和美
11月のレポートは筆者のBA課程以来の先生であり恩人であるデーヴィッド?ヒューズ教授に関しての特集です。以前、このホームページでも2回紹介したことがあるので、覚えてる方もいらっしゃるのではないでしょうか?ヒューズ教授は2015年10月から一学期間、東京外国語大学(TUFS)の国際日本学ユニット招致の一環で招へいされ学生に教えていらっしゃいます。実際、ヒューズ先生とイリス?ハウカンプ先生の2015年のTUFS訪問が、正式なTUFS CAAS Unit招致事業の始まりであり、SOASから派遣された最初の教授陣でした。
以前の2016年8月と2017年6月のレポートで、ヒューズ先生が日本の民謡や沖縄音楽を伝授し、広める活動に情熱を持っていらっしゃるかを読者にお伝えしたと思います。
今月のレポートでヒューズ先生を特集する理由は、先生の日本文化への情熱と貢献の功績が日本政府から認識され、旭日章を授与されたからです。このレポートで日本政府から発行されたプレスリリースを読者の皆さんと共有したいと思います。
「2017年11月3日、日本政府は旭日章を前ロンドン大学東洋アフリカ学院音楽部主任、前ロンドン大学東洋アフリカ研究学院音楽センター主任のデーヴィッド?W?ヒューズ教授に日本―イギリス間の文化交流と理解を深めることに対し、多大なる貢献を尽くされたことに対し授与します。」
「デーヴィッド?ヒューズ教授はイギリスで日本の伝統音楽、特に民謡を紹介し理解を深めることに関して非常に重要な役割をされました。イギリスにおける日本民謡の理解を深めることに関する学術分野での素晴らしい功績を成し遂げる傍ら、日本から個人並びに団体の専門家を招待し、200以上の公演を企画し、イギリスで中心となり日本音楽を教え、講演活動を行っている3つのグループを結成されました。」
「広範囲の経歴を通して、ヒューズ教授は日本民謡に関して日本語と英語でかなりの量の研究出版をされています。その中で最も顕著な研究書の二つが、『現代日本における伝統民謡:根源、情緒、社会』 、そして共同編集の 『アシュゲート日本音楽研究の友』 です。
「学術的貢献に並び、ヒューズ教授はイギリスの一般大衆に向け日本の伝統芸術を広めた主要人物です。現在まで続いている3つのグループを結成されました:SOAS民謡グループ、ロンドン沖縄三線会、SOAS能グループ(現在ロンドン大学能ソサエティーの一部になっています)。これらのグループは, 1991年の日本祭り、日本2001、最近の日本祭りといった日本文化紹介の象徴的イベントに参加し活躍しました。これらのグループはイギリスでいろんなタイプの日本芸能を学び、体験する特別な機会を設けるだけでなく、イギリス国内の各地を訪問しデモンストレーションすることで、さらに多くの人たちが日本芸能に触れる機会を提供しています。2011年には、ヒューズ教授がイギリス国民に日本伝統音楽を広めた功績に対し『日英親善と理解への多大なる貢献』というジャパンソサエティー大賞を授与なさいました。」
「これらの活動の他、個人的にもイギリスにおける日本伝統芸能の公演の司会進行や協力に努められています。これらのイベントでは、観客が上演作品あるいは題目の社会的背景を理解しやすいように通訳、翻訳、解説を担当なさったりもしています。イギリスの多くの人たちが日本音楽や芸能にじかに触れることができるのは、ヒューズ教授がいたから可能だった、と言っても過言ではありません。」
「イギリスにおける日本民謡並びに伝統芸能の鑑賞の機会を広めるための多大なる貢献に照らしあわせた時、ヒューズ教授の日英親善と広範囲における日英関係において、彼の行った模範となる貢献に対し敬意を表するのは当然の結果です。」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/protocol/jokun.html
上記のリンク先でもっと情報が得られます。
実際、筆者はヒューズ教授から、能、歌舞伎、文楽、雅楽、日本民謡、沖縄古典音楽、沖縄民謡、尺八、盆踊り、歌謡曲などを紹介してもらい、学んだ幸運な人間の良い例です。
筆者がヒューズ先生にTUFSで教鞭をとられた経験に関して質問したところ、次の答えが返ってきました。
「もちろん日本政府からこの賞を授与されたことを非常に光栄に感じます。日本と日本の音楽は私のキャリアの重要な部分を占めます。世界各国(13か国)で日本の音楽に関し講義をする機会が数多くありましたが、その中で一番楽しかった思い出の一つが、2015年の秋から4か月TUFSに滞在し教えた経験です。」
9月 活動日誌
2017年10月11日
GJOコーディネーター 田口 和美
9月のロンドンレポートの一件目はキングスカレッジで行われた日本のアヴァンギャルド映画祭に関してです。
川端康成の「狂人日記」の小説を原作として映画化された無声映画、衣笠貞之助監督による「狂った一項」を弁士と即興音楽付きで特別上映ということで、観に行ってきました。
過去に同じ無声映画に新しい音楽をつけるという試みで見たことはあるのですが、今回は弁士の英訳語り付きで、しかも効果音楽もライブで演奏ということで、非常に稀な機会ですので、本当に楽しみでした。
弁士付きの映画の上映は、大正モダニズムの一つの動きとして、1896年、明治29年から始まっているそうで、娯楽の少ない当時、かなり多くの弁士が活躍していたということです。日本では現在でも弁士付きの映画を上映しているところが、東京、大阪、名古屋といった主要都市に存在しているそうで、興味のある方はぜひ調べて行ってみる価値があると思います。
弁士を演じるのは、小柄だけれどパワフルな古村朋子さんです。女優が本業の古村さんは、すべての役者のセリフを、色々と声音を変化させ、同時にナレーションも担当します。文楽の義太夫の役割と似通ってはいますが、文楽では義太夫に合わせてくれるのと違って、こちらはどんどん場面が展開するわけですから、弁士がそれに合わせていかなければなりません。流暢な弁士の演出により、まったく違和感なく物語が展開していきます。
流れるような弁士の語りに色付けをするのが、三人の即興音楽家たちです。クライブ?ベルさんは尺八の名手で、尺八やマウスオルガンを担当です。ヴァイオリン、ソーそしてエレクトリックを担当するのは、熟練の即興音楽家のシルヴィア?ハレットさんです。北村桂子さんはお琴とヴォイス担当です。それぞれの楽器を最大限に生かし、緊張感を出したり、感情を盛り上げたりと素晴らしい効果音を奏でてくれます。
2017年に立ち上げられた日本アヴァンギャルド?実験映画祭が企画するこの催しの主旨は、「20世紀日本アヴァンギャルドシネマと現代日本実験映画の製作のつながりを明らかにすることです。そして、英国においてより多くの観客にその映画活動の存在を知ってもらうための基盤を作ります。当団体は参加しやすい状況を作ることに力を入れ、実践的?芸術的、学術的そして映画ファンのコミュニティの間での協力的な話し合いを展開していくことを課題とします。」ということで、これからもっと発展させてほしいと思います。
Musicians getting ready
Question time after the screening with Benshi, Tomoko Komura at the far right, Musician, Clive Bell seating next to Komura.
レポートの二件目は、フレッシャーズフェアーです。新学年がいよいよ始まり、校内は入学?進学手続きを済ませた学生であふれかえっています。今年はセネトハウスの一角が新しく校舎の一部として拡張され、昨年と比べるとクラブ活動の宣伝の空間に余裕があります。
今年は少し変わったクラブも発見しました。オタクゲームソサエティー、ドラッグソサエティー(女装/男装)など、ほんとに自由に自分の好きなクラブを結成できるという雰囲気でした。
コリアンドラムソサエティーは校舎から行進して、正面玄関の前で演奏し、フレッシャーズフェアーを盛り上げ、みんなお祭りの雰囲気で、大喜びでした。
今年もSOASで学び、遊び、色々なドラマが繰り広げられることでしょう。
The day of Freshers Fair inside and outside the SOAS campus.
8月 活動日誌
2017年9月5日
GJOコーディネーター 田口 和美
8月のロンドンレポートは, 月初めにオリンピック競技場で開催された国際陸上選手権と、月末にロンドン大学ローヤルホロウェイ校で行われた能トレーニングプロジェクトの2件です。
今年のロンドン国際陸上選手権では、日本のリレーチームも100メートルリレーの最終決勝に残りました。ジャマイカの短距離ランナー、ウサイン?ボルト選手が引退前最後の出場ということもあり、会場は満員の60,000人の観客の熱気にあふれていました。
日本勢は3位に輝きました。2020年の東京オリンピックが楽しみです。ボルト選手は途中、足が引きつりを起こしてしまい、残念ながら途中で棄権しなければなりませんでした。しかし、ボルト選手の残した偉大なる業績は、歴史に末永く残るでしょう。
お天気にも恵まれ、本当に素晴らしい陸上日和でした。
レポートの第二部は、エガムにあるロンドン大学ローヤルホロウェイ校で開かれた、能トレーニングプロジェクトです。
プロジェクトのオーガナイザーはローヤルホロウェイ校のドラマ学部で教鞭をとるアシュレー?ソープ教授、その手助けをするローラ?サンプソンさんです。お二人とも、能を学んでいらっしゃいます。このプロジェクトは2011年より始まり、最初はソープ教授がレディング大学で教えていたので、レディング大学で行われましたが、そののち、ソープ教授がローヤルホロウェイ校に移られたので、必然的に能トレーニングプロジェクトもローヤルホロウェイ校に移動したということです。
そして、プロジェクトの要は、日本から毎年いらっしゃる喜多流の能楽師、松井彬先生とリチャード?エマート先生です。お二人は海外に能を広めるということに関し、多大な情熱をお持ちで、これまでいろんな国でさまざまなワークショップ、プロジェクト、コラボレーションを行われています。
松井彬先生は喜多流能楽師として1967年に独立なさいました。1972年に文化大使としてアメリカ、カナダで能を披露されたのをきっかけに、その後、アメリカの大学などで能を教え、ロンドンでは1990年よりSOASでエマート先生と一緒に客員講師として能を教えられたのをきっかけに、様々なところで能のワークショップを開かれ、昨年2016年にはその功績をたたえ、ローヤルホロウェイ校から名誉博士号を授与されていらっしゃいます。重要無形文化財総合指定保持者でもいらっしゃいます。
リック?エマート先生は1970年より日本に渡り、日本史も含め様々な日本文化を学ばれました。アメリカの大学を卒業後、東京藝術大学音楽部楽理科で伝統音楽を学ばれ、80年代から能と英語の謡いを組み合わせた英語能の取り組みを始められ、2000年に英語能劇団「シアター能楽」を結成されました。エマート先生が能を習われた最初の先生が松井彬先生で、エマート先生は1991年に喜多流「姉妹教士」の免許を取得なさっています。現在は武蔵野大学文学部教授でもいらっしゃいます。
ローヤルホロウェイ校の素晴らしいところは、何と能の舞台を備えているのです。日本人の半田氏からの寄付で建設可能になり、半田能劇場と名付けられています。
プロジェクトの構成は、初心者向けと中上級向けがあります。初心者向けは二週間集中講座で、4曲の謡いと舞いを習います。今年の題目は「船弁慶」、「猩々」、「田村」、「月宮殿」です。そのほかに、囃子の太鼓、大鼓、小鼓、笛も学びます。中上級向けは2週間目くらいから始まり、自分のペースに合わせて、新しい舞いと謡いを学びます。それから、週末だけ参加や見学といった選択肢もあります。
初心者ですから、舞いは、まずはすり足から始め、基本の型、しかけ、開き、差し回しなどを習います。謡いは先生について大声で謡う練習です。
生徒には色々な人がいます。スイス人の女性はコンテンポラリーダンサー、イギリス人女性はフリーランスのヴィデオ?シアター関係で仕事をする人、日本人女性は古文書の修復の研究をする人、イギリス北部から来たイギリス人学生は、能と落語を組み合わせたテーマでお芝居を考案中、ルーマニア人の日本文化に深く興味を持つ女医の方、香港系中国人の女性は、心理学で博士号を持つ英語の先生、ロンドン大学クウィーンメアリー校でドラマを学ぶイギリス人学生、デボンで日本の芸者エンターテイナーとして活動するイギリス人女性、スペイン人男性のダンサー、ケンブリッジ大学で学んでいる舞台パフォーマンスに深く興味を持つイギリス人男性など、本当に興味深い参加者の面々です。
最終日の金曜日の午後は、参加者全員の発表会です。それぞれ自分の希望する舞いをやり、それに合わせ4-5人が後ろで謡いをやります。
紋付き袴を着て能舞台で舞うと、雰囲気がガラッと変わり、本物の能楽師のようになるから不思議です。参加者全員、素晴らしい舞いと謡いを披露してくれました。
日本伝統文化がこうやってたくさんの人に浸透していくのを見るのは、非常に感激的です。この輪がこれからもさらに広がっていくと思うと、楽しくなってきます。
7月 活動日誌
2017年8月3日
GJOコーディネーター 田口 和美
7月のロンドンレポートは, 大英博物館北斎特別展に関連したイべント第2弾をお届けしようと思います。
前回はメンバーズナイトをご紹介しましたが、今回は一般客用に博物館が遅くまで開館時間を延長し、数多くのイベントを用意してくれました。
エンターテインメントの一つは、「チンドン屋」です。江戸時代から伝承されているというこの職業、博物館のグレートコートで、お化粧と着付けのデモンストレーションから始まりました。観客はみんな興味深そうに、じーっと進行具合を見守っています。
準備が整った後は、博物館でのチンドン屋の行進です。博物館を横切り、表玄関まで出て、チンドンチンドン、ロンドンの空にこだまする江戸文化の響きです。こういった粋な催しができるのは、さすが大英博物館だと思います。
Chindon-ya lady demonstrating maku-up.
Dressing kimono.
The audience at Great Court
Ready for the procession
Marching outside of the Museum building in the Front Court
グレートコートの一角では、北斎の版画に挑戦コーナーです。板と鉛筆が支給され、自分で彫ってみるというワークショップです。作成した作品は、すぐ隣に設けてある北斎ウェーブの展示コーナーに加えられます。
ワークショップを担当している女性も北斎ウェーブの柄のドレスを着ていて、その熱の入れようが伝わってきます。イギリス人は一見クールに見えますが、好きとなるとかなりハマる国民性があると思います。
Workshop and Hokusai wave presentation space
A museum lady with Hokusai print dress
もう一つのイベントは、グレートコートの階段でお琴を演奏しています。しばらくしたら、上から一般の人たちで作ったダンスグループが塊になって階段を下りてきます。多分これは北斎の大波を表現しているのでしょう、面白い試みです。
People as a great wave
また今回も、津軽三味線奏者の一川響さんと歌手の望月あかりさんが、日本伝統音楽の紹介役でした。今回はジャパニーズギャラリーでの演奏で、日本の伝統芸術作品に囲まれた環境での日本楽器演奏と唄です。一般の人たちに、こういった日本でもなかなか味わえない特別の催しを提供できるという事は、本当に素晴らしい事だと思います。観客はみんな、津軽三味線の力強い演奏、すばらし歌声、そして会場の雰囲気に酔いしれていました。
Akari Mochizuki and Hibiki Ichikawa presenting traditional music at the Japanese gallery
最後に紹介するのは、日本酒味見コーナーです。着物を着たスタッフの人たちが、色んな地酒をふるまっています。最近は日本酒を好む人もかなり増え、すしと並んで人気のある日本の食文化の一つです。
Sake tasting corner
People listening and watching Chindon-ya
それから、北斎特別展のマスコットは、白のボブヘアースタイルで赤い着物を着たダックちゃんです。数年前に行われた「春画展」のときに現れた侍ダックとペアーになりました。大英博物館は、特別展以外は入場無料で、寄付金と博物館のギフトショップの収益で運営されています。ミュージアムショップのウェブサイトもありネットショッピングも可能です。入場無料を維持するために、魅力的な商品を作り出すよう努力をしています。
White bob hair with pinkie red kimono duck is launched at Hokusai exhibition.
博物館全体で北斎特別展を盛り上げる努力、頭が下がります。日本の文化を盛りだくさんのイベントで、だれにでも親しめるように企画して見せてくれる大英博物館、ますます尊敬しますし、あらためて惚れ直したという感じです。
7月は卒業式のシーズンでした。SOASの卒業式での校内の雰囲気を少しだけ写真でお届けします。ガウンと帽子を身に着けると、やはり儀式という雰囲気が出ますね。
Graduation day at SOAS campus
6月 活動日誌
2017年7月3日
GJOコーディネーター 田口 和美
6月のロンドンレポートは3件の行事に関してレポートしたいと思います。
6月初旬に幕開けした、大英博物館の葛飾北斎展覧会「北斎、大波のかなた」は、かなり熱の入った取り組みで、ファミリー用の無料イベントや、トークなども展覧会に並行して行われています。メンバー用のイベントとして、特別な日を設け、閉館後に特別開館をし、自由に博物館を見て回る配慮もしてあります。以前このホームページでご紹介した津軽三味線奏者の一川響さんと歌手の望月あかりさんが、北斎展覧会メンバーズイヴニングの日本文化紹介音楽担当でした。
北斎の展覧会は、時代順に作品を紹介してあります。特に、ち密に描かれたスケッチブックの動作のとらえ方は、素晴らしいの一言です。これが漫画本と呼ばれていて、いわゆる現在の漫画につながっているようです。有名な赤富士と並びめずらしい紅(ピンク)富士も展示されています。さらに、晩年の北斎の宗教観、心のよりどころ、芸術への探求などを作品を通じて紹介されています。
この展覧会は、大英博物館とSOASの協賛研究プロジェクト、“晩年の北斎:思想、技術、社会”の支援で立ち上がりました。大英博物館からは、ティモシー?クラーク氏、SOASからはアンガス?ロッキアー教授が責任者です。
作品群の題材は古典的な江戸文化を表していますが、遠近法や新しい鮮やかな青の色使いなどは、西洋から取り入れたもので、江戸末期という激動の変換期を目の前に表してくれます。
これほど素晴らしい日本文化をさりげなく見せてくれる、イギリス文化の寛大さ、洗練された芸術鑑賞へのアプローチは、日本にいる時よりも、日本を感じさせてくれるひと時でした。
第二のイベント報告は、SOASで開催された年度末の韓国文化イベントです。SOAS在籍のコリアンソサエティーに所属する学生が主催するこのイベントは、伽耶ぐん、韓国ドラム、韓国舞踊、パンソリ、コリアン管楽器のクラブ活動で一年間学んだことのおさらいとして設けられているイベントです。
東京外国語大学の留学生で伽耶ぐむを習っていた学生さんがいましたので、記念写真を撮りました。
学生主催で、教える先生も学生、研究生とはいえ、皆さん専門家なので、イベントの質は非常に高いものがあります。
最後は観客も参加して、手をつないでダンスしたり、とおりゃんせをしたりと、盛り上がって幕を閉じました。
第三番目のレポートはロンドンで毎年開催されている沖縄慰霊祭のイベントです。沖縄民謡や古典、奄美大島の民謡、沖縄伝統のお茶作法ブクブク茶、地元空手グループによるデモンストレーション、エイサー太鼓と手踊り、これがロンドンの沖縄祭りです。
このイベントの火付け人は、昨年このページでご紹介しましたSOASの音楽部で教鞭をとられていたデイヴィッド?ヒューズ教授です。音楽部主任をなさっていた2004年から2005年にかけ、「SOAS沖縄エイサープロジェクト」を企画されました。その目的は2005年に沖縄の園田青年会のエイサーチームとミュージシャンをロンドン市長主催のテムズフェスティバルに参加してもらうというものでした。
テムズフェスティバル参加の準備として、エイサー太鼓と手踊りの指導者をフェスティバルの2か月前に招待し、SOASで一週間ワークショップを行いました。地元ロンドンエイサー隊を作り、テムズフェスティバル当日に園田エイサーチームをサポートするという趣旨で、ロンドンのエイサー隊が立ち上がりました。
年々メンバーは入れ替わりますが、当時出来上がったものが今まで維持されてきているということは素晴らしいことだと思います。園田エイサーチーム訪問時に立ち上がったロンドンエイサーグループは、現在、ロンドン沖縄三線会として活動をしています。
開催される場所はロンドン銀行街のすぐ近くにあるのですが、年々開発が進み、いろんな人が気楽に集える空間を提供する一環として、国際色あふれる催しが企画され、沖縄慰霊祭も毎年行われています。
屋外イベントですから、観客も自由に歩いたり、すわったりして、興味深そうに耳を傾け、パフォーマンスに見入っています。ちびっ子エイサー隊もあり、女の子のメンバーが多く、ガールズパワーでパワフルな太鼓踊りを披露してくれます。
ロンドンの中心街で三線の音と歌声、力強い太鼓そして掛け声を聞くのも、非常に風流なものです。
5月 活動日誌
2017年6月4日
GJOコーディネーター 田口 和美
今月はイギリスの北部、マンチェスターで行われたデミアン?フラナガン氏の講演についてのレポートです。
フラナガン氏はTUFSの講演会で昨年12月に “小泉八雲の「心」から夏目漱石の「心」へ”というタイトルでトークされています。日本文学研究者で、夏目漱石に関しては、「ロンドン塔」の翻訳、「草枕」、「門」、そして「こころ」の翻訳本に紹介文を書いていらっしゃいます。イギリスの大和ファンデーションでも数多く、講義をなさっています。
http://www.damianflanagan.com/DJFlan_E_publ.html
1891年に設立以来、数多くの日本文化紹介や催し物を企画してきている、この国で非常に長い歴史を持つ個人団体のジャパン?ソサエティーと、イギリスの大学卒業生で日本に行き英語教師として経験を積んで戻って来た人たちで作られている、JET ALUMNIの協賛で設けられたこのイベントは、マンチェスターの中心部からタクシーで15分くらい行った閑静なヴィクトリアパークと呼ばれる住宅街にあるお屋敷で行われました。
フラナガン氏のトークのタイトルは “The Dark Secret of Natsume Soseki” 「夏目漱石の暗い秘密」と題されていました。夏目漱石の研究者でなくとも、とても興味をそそられるタイトルです。会場の雰囲気作りが非常によくできていて、あたかも誰かの家に招待され、お話を聞くといった環境でした。JET ALUMNIとジャパン?ソサエティーのメンバーで会場がいっぱいになったところで、いよいよフラナガン氏のトークが始まりました。
最初にこのサマーヴィルと名付けられた建物の歴史とその所有者のお話で、トークの幕が開きました。この建物は、19世紀前半にイギリス陸軍で活躍した人物として知られる、陸軍仲将ハリー?スミス卿が所有していたそうです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Sir_Harry_Smith,_1st_Baronet
フラナガン氏によると、この建物は修復前は、非常に荒れ果てた状態だったそうですが、今はそれと打って変わって、それをまったく感じさせない、非常に素晴らし内装に改造されていました。
建物の歴史のお話の後は、いよいよ本題に移りました。まずは、ラフカディオ?ハーン、日本人には小泉八雲として知られる日本研究家についての説明から始められました。
ラフカディオ?ハーンは東京大学で漱石の前任を務めていましたが、漱石が政府の英語教員育成政策による国費留学から帰った後、教師としての立場を漱石に譲ることになったのです。
フラナガン氏は、ラフカディオ?ハーンは心という書物を書いていたと指摘されました。漱石がそれを意識して、後年書いた小説を「こころ」と決定したかもしれないという点、これが何を意味するかは別にして、とても興味深い視点だと思います。この点に関しては、昨年のTUFSでの講義で詳しく説明されているのではないかと思います。
フラナガン氏の話の趣旨である、“漱石の暗い秘密”が何なのであるかの結論を先に書くと、漱石が作家として世の中に出るには、漱石の無二の親友である“子規の死が必要であった”というご意見でした。
子規は大学を退学した後、文壇に新俳句運動を起こしたり、文学雑誌を発足させ編集長をつとめたり、新聞記者になり、中国に渡ったりと、短かった人生の若い時期に画期的に持って生まれた才能に花を開かせました。
フラナガン氏の見解によると、子規は漱石がアーティストとして活動するある意味での障害物だったが、それが子規の死により、漱石は呪縛から解放され、自由になった、ということでした。
漱石と子規の友情関係に新たな視点を与える意見だと思います。実際、漱石の才能の花が開いたのは、子規の死後、漱石がロンドンから帰り、精神的に不安定だった時期に、子規の後を継いで、文人雑誌のホトトギスの編集長を務めていた、高浜虚子の勧めで書いた、「吾輩は猫である」がきっかけでした。
違った角度からの捉え方として、子規と出会いその影響を受けなければ、漱石は俳句や漢詩を詠んだり、作家という道をとらず、英文学専門家で終わっていたかもしれないというのが、筆者の見解です。
これからも、フラナガン氏が今まで以上に画期的に日本文学研究に数多くの興味深い見解を提供し、刺激を与えてくださることを期待しています。
今回、ご親切に筆者の参加を受け入れてくださった、JET ALUMNIとジャパン?ソサエティーに感謝の意を表したいと思います。
4月 活動日誌
2017年5月4日
GJOコーディネーター 田口 和美
4月は桜の季節、今年の日本の桜前線の訪れは、通常に比べ遅かったようですが、ロンドンは比較的早く桜が開花しました。今月はイギリスの桜をテーマにレポートをお届けします。
SOASがあるブルームズベリーにはスクエアーと呼ばれる広場がいくつかあります。その一つのタヴィストックスクエアーに、大振りの濃いピンクの花を咲かせる桜の木が一本立っています。近づいて木の根元を見ると、記念碑が立っています。広島の原爆で亡くなった方たちへの思いを込めて1967年8月6日にこの桜が植えられた記念の碑と記してあり、代表としてこの地域、カムデン区長の名が記されています。
毎年、夏の原爆の日にかかる週末の土曜日には、平和を願う人たちが集い、原爆で亡くなった方たちの霊を慰め、被爆者の方たちの苦労と存在を忘れてはならない、そして人類は二度とこのような悲しい出来事を繰り返してはいけないといったスピーチが行われるのも、この桜の木を囲んでです。
この日、私が取材で写真撮影に訪れた時、偶然にも折り鶴がたくさん飾ってありました。桜の花びらを絨毯にして上にちりばめられた折り鶴が絵に描いたように綺麗です。一週間ほど前には、テロ事件があり、国会議事堂の前で警官が刺され殉死しました。いろんな事件が起きようとも、絶対に暴力には屈せず、平和を願う気持ちは忘れないという意思表示のためにも、この広場は貴重なスペースのようです。
この広場の中央には、非暴力、不服従でインドを独立に導いたマハトマ?ガンディーの像が立っています。この像にも、いつも花輪がかけてあり、蝋燭がともっています。
タヴィストックスクエアーはロンドンから世界に向け、静かに平和メッセージを発信する広場といえるでしょう。
タヴィストックスクエアーのお隣のブロックは、ゴードンスクエアーです。ここはSOASの北に位置するのですが、いつも学生や一般人が一時の安らぎを求めて集います。そこに、日本のソメイヨシノを思わせる小さめの桜の木が一本、凛々しくたっています。この桜を見ると、なんとなく、百年以上前、2年間ロンドンに滞在し、一人異国の地で孤独感と向き合い、自己本位という価値観を見出したと、「私の個人主義」で発表した、文豪、夏目漱石を思い出します。
タヴィストックスクエアーの桜
ガンジー像
ゴードンスクエアーのソメイヨシノ、これを南下するとSOAS
もう一つの桜のイメージとして、爽やかな日本女性三人組プラスイギリス紳士一人のロックグループ、ノーカーズの長期休暇前の最後のコンサートを取材しました。
No Carsと書くのですが、私たちはノーカーズ、ファーマーですといって自己紹介をする彼女たち、一見いつまでも17歳というイメージがあるのですが、メンバー全員演奏がうまく、しっかりとした芯をもつ、桜のようなバンドです。
バンドが結成されたのは2007年で、2008年にコンサート活動を始めたそうです。メンバーチェンジを経て、今のラインナップになったのが2014年からで、アルバム3枚を出しています。バンドとしてこだわっている点は、矛盾をはらんだ人間を肯定する道化を表現したい、なぜなら、真面目一辺倒だと、息苦しくなるし、危険だから、というご意見。
バンドをやっていて楽しいのは、気の合った仲間と、一人ではできない冒険をすることができる点だそうです。
バンドのメンバーはリードギター、ヴォーカル、クラリネット、サクソフォン担当でリーダー的存在の小松はるなさん、ベース、ヴォーカル担当の飯田たかこさん、キーボード、ヴォーカル担当の小村朋子さん、そしてドラムのキャンディーで知られる ウィル?ジョーさんの四人です。
メンバーは多彩な才能を持ち、ノーカーズの他にも、和太鼓や舞台音楽にかかわったり、お芝居、通訳、日本文化の紹介、アロマセラピーの研究をしたりと、幅広く活動をしている、たくましい日本女性たちです。
会場には、ノーカーズをしばらく見れないということで、たくさんのファンが詰めかけていました。ビング?セルフィッシュ&ウィンザーというベテランのグループを前座に、ノーカーズは2部構成のコンサートで、ファンを惜しみなく楽しませてくれた夜でした。
ノーカーズの早期復活を願って今月のリポートを終わります。
来月は、漱石専門家のドクター デミアン?フラナガンのトークのレポートです。